美智子さま残した「週刊誌スクラップ帳」に、雅子さま唖然「誰がそんなものをお読みだったのでしょうか…」

平成皇室の七不思議?新型コロナウイルスの感染が収束傾向に入ったのと同時に、いよいよ新年を祝う一般参賀も規模を縮小しつつも実施する方向で検討に入っているようです。そして皇族方の公務も徐々に再開の兆しを見せ始めました。皇族方の雅な笑顔と振る舞いに心癒されますよね。皇族方が地方行幸するともなれば、沿道には多くの人が詰めかけ「〇〇さま~!」「万歳!」と声をあげています。たとえ沿道に行けなかったとしても、ニュースなどで流れるお姿を拝見するだけで、心が温まるものです。

このような「国民と共に歩む皇室」というイメージは平成になってから、それも美智子さまによって作り上げられたものとも言えます。平成時代に美智子さまは「慈母」のごとく報道され続けて来ましたが、これは美智子さまがメディアとの攻防に勝利した結果でもあるのです。週刊誌などに「美智子さまへの批判的な表現」が出ると、宮内庁がそれに逐一反論したり、急に美智子さまの体調が悪くなったと報じられたりすることが日常茶飯事となりました。このような光景は昭和の香淳皇后にも、令和の雅子さまにも見られない特異なものです。

あまりの電光石火の反応に「美智子さまの愛読書は女性週刊誌」などと噂されたこともありました。皇后陛下でさえ、我々庶民と同じような趣味をもたれているとは心温まるエピソードに違いありません。平成の時代に美智子さまの近くで仕えた元宮内庁職員の小内誠一さんは次のように漏らします。

「美智子さまの愛読書が女性週刊誌というのは、ややオーバーな表現かもしれません。ですが、女性週刊誌や総合誌の皇室記事を発売日にくまなくチェックされていたのは事実です」(小内誠一さん)

ですが皇居に住まわれる美智子さまがコンビニや書店などに週刊誌を買いに行くことは目立ってしょうがありません。そんなことしてはそれこそ週刊誌の記事にされてしまうのではないかという疑問があります。

「美智子さまに仕える侍従職の一人が、登庁中に発売された週刊誌を買い、登庁後に皇室記事を切り抜いてスクラップ帳に貼りつけ、資料として美智子さまや職員らと情報共有していました。記事の内容によっては出版社側に訂正や謝罪の要求をしました。
こういった監視体制のシステム化は美智子さまだけに見られる特別なことで、東宮妃時代の雅子さまは『我関せず』を貫いておられたと記憶しております」(小内誠一さん)

『卜部亮吾侍従日記』に残る、専属職員の存在
宮内庁職員の業務の一つに「週刊誌の切り抜き」があるとはビックリです。「君子は危うきに近寄らず」という言葉がありますが、どれほど高貴な方であっても週刊誌を読みたいという衝動は抑えがたいのかもしれませんね…。

当時の侍従日記を読み直すと、確かに「週刊誌」の話題が多く見つかります。しかも小内誠一さんの指摘通り、一人の職員が週刊誌切り抜き作業の専門職としてしていたようです。昭和天皇の侍従を務め、御代替わりの後も侍従職御用掛(平成5年まで)の任を預かっていた卜部亮吾さん(1924-2002)の日記には、至る所に「牧野氏から週刊誌」を受け取ったという記述が確認されます。例えば次のように。

1995(平成7)年3月30日(木曜)7時起床、雨、朝食、8・15の各停に坐り 9・25出社、牧野氏から週刊誌切抜き ……昼は表参道で求めたすし弁当、1時すぎ本庁へ同様の記述が、この個所を含め6か所ほど日記に確認されます。いずれの個所も「牧野氏から午前中に週刊誌の切り抜きを受ける」点で一致しています。しかもこのような記述は平成になってから初めて現れた特異なものです。よって平成の宮内庁では週刊誌の切り抜きスクラップ帳製作が業務の一環としてルーチンワーク化していたことが解ります。

このような業務体制こそが、宮内庁による迅速な対応を可能にしたことは想像に難くありません。かかる意味で雅子さまや愛子さまへの報道過熱が止まらなかった要因の一端は、このような体制がなかったことによるでしょう。

週刊誌切り抜き担当「牧野氏」とは誰か?ところで『卜部亮吾侍従日記』では「牧野氏が週刊誌の切り抜きを渡された」という記述は何か所も確認されますが、いずれも「牧野氏」とだけあって名前が記されておらず、その人物像が謎に包まれたままです。一体この牧野氏とは、何者なのでしょうか? 美智子さまの皇太子妃時代に仕えた牧野純子女官長のことなのでしょうか?

「牧野女官長は既に退官していますよ。この牧野氏とは、侍従職内廷係をしていた牧野名助さんのことですね。内舎人(うどねり)として昭和帝に長く仕えていましたが、平成となってから異動となり週刊誌の切り抜きスクラップ帳の制作を任されていました。

スクラップ帳は皇居一階奥の書斎にまとめられており、その数は数十冊に及びます。御代替わりでどうなったのかは解りませんが、お引越しの後、雅子さまがそれを発見したらさぞかし驚かれるでしょうね(笑)」(小内誠一さん)牧野名助さんは昨年、昭和天皇の直筆の原稿を学習院大学史料館に寄贈したことでニュースになりました(朝日新聞 2019年9月5日)。長らく昭和天皇の衣服など身の回りの世話をする内舎人(うどねり)として仕えた人物として知られています。

 

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