主治医から秋篠宮ご夫妻に健康上の重大な問題?重大告知..?

ラジオ日本

主治医から 秋篠宮ご夫妻に 重大告知今年4月に、名門・筑波大学附属高校に入学された悠仁さま。今月9月1日には、夏休みを終え、新学期を迎えられたのですが、いまだご学友は一人もおられないようで、そのことは紀子さまの悩みの種ともなっているそうです。

「学習院の高等科時代には、愛子さまは、ご学友も多く週末などには、しばしばお友達を赤坂御用地のご自宅に招かれていたようでした。また、下級生からも大変尊敬されていたようで、学校内で非公式の愛子さまのファンクラブのようなものまでできていたほどです。

それに比べると、悠仁さまは、孤独な学校生活を送られているようで、人望があるとは言い難いようです。

紀子さまは、何が何でも、悠仁さまの方が愛子さまよりも将来の天皇に相応しいのだと、多くの国民にアピールしたいと考えておられるようですが、残念なことに、日本国民のうち、誰の目から見ても愛子さまのほうが天皇に相応しい資質を持たれていることは明らかでしょう。

結局、愛子さまよりも悠仁さまの方が天皇に相応しい資質をお持ちになっている、ということをアピールすることが出来ずに、最終的には、“皇室典範で決まっているから”“古来からの伝統だから”といった単純な理由で男系男子である悠仁さまの皇位継承をゴリ押ししていくことになるのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)

友達のいない都心から逃亡される悠仁さま
愛子さまは、休み期間中には、ご学友と共に地方へ旅行へ行かれることも多かったようですが、それとは対照的に、悠仁さまはこの夏、お友達のいない都心から逃げ出すかのように、お一人で地方へ旅行へ出掛けられていたようです。

9月1日から新学期を迎えられた秋篠宮家の長男・悠仁さま。今年4月に筑波大学附属高校(筑附高)に入学され、高校生になって最初の夏休みは、公務へのお出ましもあり、将来の天皇としてのご自覚を培われる時間になったようだ。一方、7月下旬には学校行事で2泊3日の校外合宿に参加。お盆が明けた8月19日からは、長野県の栂池高原へ私的な旅行に出かけられた。

「秋篠宮ご夫妻や姉の佳子さまはご一緒ではなく、悠仁さまだけの“ひとり旅”でした。夏休みにおひとりで遠方に出かけられるのは、悠仁さまにとって初めてに近いご経験。栂池高原では、幼い頃からご興味をお持ちの『トンボの観察』にかなりの時間を費やされたそうです」(皇室記者)

悠仁さまは、以前から頻繁に長野に旅行に出掛けられていたようですが、今回の旅行では、大変不自然な動きもみられました。

というのも、何と、悠仁さまは、8月19日からは、長野県の栂池高原へ一人旅行で向かわれた後に、今度は、8月25~27日の2泊3日で再び、秋篠宮ご夫妻と共に長野に向かわれたようなのです。

今年はコロナ禍で迎えた3度目の夏休み。第7波が押し寄せ感染者数も過去最多を更新していた中、専門家は「家族以外の普段会わない人たちとの会話や接触は慎重に」と指摘していたが、政府方針は「行動制限なし」だった。多くの人が「この夏こそは」と意気込んでお盆休みの旅程を立てただろう。それは秋篠宮家にとっても同様だったようだ。

「ひとり旅を終えて帰京された悠仁さまは、“トンボ返り”とばかりに8月25~27日の2泊3日で再び長野に向かわれました。今度は、秋篠宮ご夫妻もご一緒の家族旅行。大きく公表されることのない“隠密”でのご旅行でした」(宮内庁関係者)

新型コロナの流行状況に鑑みて、移動はお車で。向かわれたのは、長野と山梨の県境に標高2000m級の山々が連なる八ヶ岳だった。

「宿泊されたのは、以前も利用されたことがある『八ヶ岳高原ロッジ』でした。お部屋はロイヤルスイートで、建物の警備上の観点からもその部屋が適していたといいます。

滞在中の秋篠宮さまは、読書をされるなど、リラックスして過ごされたようです。もともと、あまりアクティブなタイプではなく、赤坂御用地でも温室でサボテンを観賞するなどゆっくりされるのがお好きです。ですから、ご旅行先ではお出かけになる紀子さまや悠仁さまを“見送る人”で、ホテルの部屋でのんびりされていることが多いそうです」(前出・宮内庁関係者)

紀子さまと悠仁さまは、登山を楽しまれる予定だったという。かつて悠仁さまは小学6年生の頃に、槍ヶ岳登山のため、紀子さまと北アルプスを訪れたこともあった。

「槍ヶ岳は非常に急峻で、まさに断崖絶壁。紀子さまとしては、当時から悠仁さまの挑戦する心を育みたいとお考えだったのでしょう。ただ、今回のご旅行では天候が不安定だったこともあり、予定通り実施できたかどうか。それでもホテル周辺でのご散策は楽しまれたでしょう」(前出・宮内庁関係者)

 

健康上の重大な問題?
あまりにも不自然な2度の長野への旅行なのですが、実は、この旅行の真の目的は、悠仁さまの診療と治療にあったようです。

 

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