
美智子さまと香淳皇后(良子さま)平成から令和に切り替わって四年以上の年月が経った。平成を駆け抜けた美しく慈愛に満ちた美智子さまは、令和となりゆっくりとした毎日を過ごされているとのこと。10月28日には天皇皇后両陛下とともに、上皇上皇后業夫妻も明治神宮を参拝された、美智子さまの美しい礼装が久しぶりに見ることが叶った。平成といえば美智子さまであり、天皇陛下(現、上皇陛下)ですら影が薄くなってしまうほどである。
筆者はかつて新聞記者をしていたが、1980年代末に学習院OG会・常磐会の重鎮Nさんからお話を伺う機会があった。当時80歳代半ばで、旧華族であり皇族とも親戚関係にあることを誇りにしていた。とても気品のある女性だったのだが、話が美智子さまにおよぶと表情が険しくなり、その口から聞くが苦しくなるような厳しい言葉が飛び出したので驚いた。
曰く「美智子さんは何かと目立ちがり、性格も温和ではなく、皇太子妃として品位を感じません。結婚には良子皇后陛下が異議を唱えていましたが、当然ことです。心ある皇族方で、美智子さんを良く思っている人はいません。皇太子殿下(現、上皇陛下)は美智子さまんの外見に惚れたそうですが…。学習院から選ばれるべきだったと思います」などなど。
この時は、『新潮45』1985年8月号や『週刊文春』1985年8月1日号が、「美智子さまイジメ」の具体例として、常磐会(学習院OG会)や宮代会(聖心女学院OG会)がその主犯として描いていたことを思い出したくらいで、あまり深くは考えなかった。美智子さまと良子皇后陛下の不仲は当時から誰もが知る公然の秘密だったからだ。
その後、昭和から平成にかわり1989年に秋篠宮殿下と紀子さまが結婚した折に、再びNさんからお話を伺う機会を得た。すると今度は肩を落とし「良子皇太后陛下がお元気ならお許しにならなかったでしょう」と溜息混じりに語られた。当時、香淳皇后(良子さま)は「老人特有の症状」が進んでいると報道されていた(宮内庁報道、朝日新聞1990年1月7日)。
美智子さまバッシングとの奇妙なリンク平成に御代替わりするや、月刊誌『宝島30』1993年8月号に掲載された大内糺「皇室の危機『菊のカーテン』の内側からの証言」に端を発する、いわゆる美智子さまバッシングが始まる。その時、私が胸騒ぎを覚えたことは、これら記事の内容と、先ほどの常磐会の重鎮Nさんの話と妙に符合していたことだ。
この1993年におきたバッシングは、その後、美智子さまが失声症になられ「事実に基づかない批判」と猛抗議したことで鎮静化した。週刊誌・月刊誌のゴシップ記事に皇后自らが抗議することは大変珍しいことなので「時代も変わったものだ」と驚いた。皇后のように権威ある立場の人が声をあがれば、メディアはそれに忖度せざるを得ず、言論の自由が危ぶまれるからだ。事実、香淳皇后はこういったことが起きても静かに微笑まれるだけであったと聞き及んでいる。その御心の優しさ驚かされるばかりだ。国民から愛される皇后の慈愛である。
この美智子さまの抗議はまさに驚くべきものであったが、実はこれ初めてではなかった。美智子さまの初の抗議は、なんと1963年(昭和38年)のこと。雑誌『平凡』に掲載されていたノンフィクション小説「美智子さま」(小山いと子)に対して宮内庁が「事実に反する」として猛抗議し、出版を差し止めた事件があった。
具体的に抗議した箇所のなかには、美智子さまの初夜を描いた不敬記述も含まれているのだが、目を引いたのは、❶秩父宮妃(勢津子さま)、高松宮妃(喜久子さま)が美智子さまに好意を持っていないというくだり、❷美智子さまが結婚報告で伊勢神宮に行かれた時、祭主の北白川房子さんが美智子さまに「敵意と侮蔑を含んだ絶望的な冷たい顔をした」という二か所である。もしこれらの記述が真実であるならば、美智子さまは、先ほどのNさんの証言通り、皇室界のなかで四面楚歌であったようだ。
しかもどうやら、宮内庁が抗議した真相は「事実と違う」というところが「事実通り」だったからで、そこが逆鱗に触れたからであるらしい。皇室ジャーナリストの板垣恭介氏は、おしゃべりな東宮侍従が内部事情を外部に漏らしており、それが小説の元ネタになっていたことを突き止めている(『明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか』大月書店、2006)。
そのうえで板垣恭介氏は「小説『美智子さま』のネタ元が東宮侍徒だったことを、高松宮妃は熟知しており、良子皇后にも筒抜けだったわけで、『あんなもの止めさせてしまえ!』とどなたがのたまわったかは別にして、謎を解くカギだと僕は考えている」と述べ、出版差し止めの黒幕が高円宮妃あるいは良子皇后であるかのように仄めかしているが、これは考えすぎだろう。「陛下と同じです」と常日頃控えめに仰っていた良子皇后(香淳皇后)ならば、むしろ「気になさることはありませんよ」と宥めていただろう。
まして当時の宮内庁は「登場人物が実名であるうえ、興味本位に扱われており、事実と違うこともあり、皇族の人格、人権を傷つけているからだ」と発表し、あたかもこの小説が原因で美智子さまが胞状奇胎になられたかのように喧騒されていた。この流れを自然に受け止めるならば、美智子さまのご意向で、宮内庁を通じて出版を差し止めさせたというのが真相だろう。
美智子さまはなぜ怪しまれたのかこのように良子皇后のみならず、秩父宮妃(勢津子さま)や高松宮妃(喜久子さま)、はてまた伊勢神宮の祭主の北白川房子さんからも嫌われ、まさに四面楚歌だった美智子さま。