天皇家と宮家昨年6月24日に公開した記事「紀子さまの“対抗心”「悠仁にも田植えのお手伝いを」 愛子さま“養蚕”に倣い」のなかで、私が「〔紀子さまは〕競い合うのではなく〔雅子さまと〕協力し合って皇統を紡いでいってほしいと願ってやみません」と寄せたコメントに「紀子さまは皇后陛下と手を取り合うのではなくお支えするのが務めだと思います」と意見がついた。
ご説ごもっともその通りである。この場をもってお詫び申し上げたい。私がこのようにコメントしてしまったのには理由がある。このコメントを寄せる直前に、皇室ジャーナリストの佐藤公子さんから『週刊女性』(2020年7月7日号)の記事を見せられていたからだ。その最後に書いてあった「令和皇室は、皇后と皇嗣妃の“協力プレー”が要になるに違いない――」という言葉が頭に残っていたのだ。
しかし宮家の本分は天皇家を支えていくことにある。確かに秋篠宮家は殿下(皇位継承権1位)と、悠仁さま(同2位)を擁する筆頭宮家であるものの、天皇家と宮家では格が違うことは明白だ。西尾幹二による雅子さまイジメにしても雅子さまと紀子さまが同格であるかのような錯覚は何処から生まれたのか?
これは偏に平成時代に雅子さまバッシングが続き、秋篠宮家アゲが続いたことによるだろう。たとえば西尾幹二(電気通信大学名誉教授)が2008年に、皇太子殿下(当時)に諫言するという体裁で、激しい雅子さまバッシングを行った(一連の論考はまとめられ『皇太子さまへの御忠言』と題打ってワック社より刊行)。
しかし本論が示してきたとおり、今回の件は学歴能力主義と高級官僚の家系が「反近代」の天皇家とクロスしたがゆえに起こった例外的な災厄であって、ある意味で雅子さん個人の問題である。秋篠宮家の紀子妃殿下には不適応病理はまったく生じていない。
天皇家の人々は天皇制度という船の乗客であって、船主ではないと私は言った。船酔いをして乗っていられない個人は下船していただく以外にないだろう。皇室ジャーナリストの松崎敏彌氏が「場合によっては秋篠宮への皇統の移動も視野に入れる必要がある」と大胆に提言しているのは納得がいく。
紀子さまがお元気でいらっしゃる以上、雅子さまの適応障害は本人に責任があるのだから離婚して皇籍離脱(下船)してもらうしかないというのである。さらに、秋篠宮家への皇統移動を主張している松崎敏彌氏といえば、女性週刊誌『女性自身』で皇室担当記者だった人物だ。いわば雅子さまバッシングの主犯がこの主張をしているのである。
山折哲雄による皇太子批判さらに宗教学者の山折哲雄(国際日本文化研究センター名誉教授)は、2013年に執筆した「皇太子殿下、ご退位なさいませ」のなかで、秋篠宮家は家庭円満・子育て順調な理想の一家であり、皇太子殿下は退位宣言して雅子さまと愛子さまを連れて京都で養生せよと書き連ねた。
〔人格否定発言をした皇太子殿下に苦言を呈したことについて〕人間としての思いやりと逡巡の複雑なお気持ちがあったと推察されるが、それでもあえて口にされた秋篠宮殿下には、兄君の窮地を助けようとする態度がにじみでていたように思う。お子さま方にたいする教育方針にも自律的な生き方がうかがわれ、皇位を寄せる人々も多いのではないだろうか。……
その秋篠宮のご発言と立居振る舞いが、皇室における象徴家族と近代家族という二重の性格を均衡させる安定的な地位に、より近くお立ちになっているように私の目には映っているのである。皇太子による寛大な「退位宣言」が、その「譲位」へのご意見とともに秋篠宮に自然な形で受け継がれていくことを願わずにはいられないのである。……
そして、そのように選びとられた第二の人生の生活の場として1000年の都であった京都の地ほどふさわしいところはないのではないかと私は思う。秋篠宮家の子育てを称賛するなど、眞子さまと小室圭さんの一件が露になった今となっては「お笑いネタ」である。平成時代の皇室報道がどれだけ間違った情報に基づいていたのかを示す証拠だ。
紀子さまにも責任はある先に紹介した西尾幹二や山折哲雄以外にも、仰天するような記事が平成の時代には数多く見られた。こぞってメディアは雅子さまを叩き、紀子さまを持ち上げた。しかし今では風向きが変わり、いまではむしろ紀子さまが叩かれている。しかしこうなったのはある意味で自業自得であり、紀子さまにも責任がある。
やはり紀子さまは、2006年に悠仁さまをお産みになって以来、人が変わった。未来の天皇の実母、国民の母(国母)になるという重責がそうさせたのかもしれない。職員には非常に厳しく当たり、一つ失敗があれば数時間叱責することもしばしばである。心労で離職者が絶えない。秋篠宮家と親交が深い朝日新聞の島康彦記者(皇室担当)ですら、次のようにオブラートに包むのがやっとだ。
紀子さまに近い関係者によると、紀子さまは殿下やお子さま方が矢面に立たないよう、あえて周囲に厳しい姿勢で臨み、「嫌われ者」になることもいとわないのだという。公的な活動を続けるうえで、意に沿わない内容があったり、もっとこうすべきだという点に気づいた場合、殿下自身が伝えてしまうとよからぬ批判や臆測を生む可能性もある。