6月17日から7日間の日程で、インドネシアを公式訪問された天皇皇后両陛下。即位後初めて、 おふたりそろっては21年ぶりとなる国際親善訪問で大変なご活躍をみせられた雅子さまですが、 今回のインドネシア訪問では、医師団の随行が直前となってキャンセルとなったことも話題となりました。
そんななか、直前でキャンセルとなったこの医師団が、 美智子さまが雅子さま 監視のために送り込んだスハイではないかという疑いが強まっているのです。
今回はそちらについて書かれた記事を見つけましたので、 紹介と詳しい解説をしていきます。さて、今回の訪問時には、直前になって医師団の同行がキャンセルされる
という出来事が話題になりました 内情に詳しい皇室ジャーナリストは、次のように述べています。「このことについては一部で心配の声も上がりましたが
雅子さまはその影響を微塵も見せることなく、 大変なご活躍をされました。 また、雅子さまのご体調に関しては実際には国民に公表されているよりもずっと良好であり
心配する必要はないとの指摘もあります。 野村一成氏という数少ない 「気を許 せる側近」は、雅子さまの病状が世間が思っているよりもはるかに、良好であり
将来の皇后としての役割に不安を感じていないこと、 また、仕事が思うように進ま ない悔しさに雅子さまが涙を流すこともあること、そして雅子さまの活躍に対して
快く思わない人物が存在することなどを話しています。 野村氏はいつも、雅子さま がいつか復活されることを信じていました。 これらの言葉は非常に重要な意味を
持っています。 しかしながら、このような事柄は皇室関係者の間では周知の事実だったようです。 ある宮内庁関係者は、次のように語りました。
「この記事では表現をオブラートに包んでいますが、普段野村一成氏が述べて いる内容はもっと明快であり、同時に背筋が凍るような恐ろしい話です。
その内容は、皇室の医師団が上皇后美智子さまから派遣されたスハイであり美智子さまが雅子さまの活躍を快く思っていないことを示しています。
野村氏によれば、医師団は雅子さまの周辺情報を提供すると同時に、「雅子さまは病気がちで無能な皇族である」という印象を国民に与えるためにスパイとして
派遣されたのだと言います。 要するに、美智子さまは雅子さまの活動を抑制 派遣されたのだと言います。要するに、美智子さまは雅するために医師団を利用し、情報を得ていたと野村氏は主張しています。J
もしこの情報が真実ならば、 皇室内部に深刻な問題が存在していることになります。医師団が皇后雅子さまのフライバシーを侵害している可能性があり、
それが上皇后美智子さまによって進められているという事実は、皇室に対する大きな疑念を引き起こすでしょう」 以上が1つ目の記事の内容です
実際に医師団の随行無しでも海外で大活躍された雅子さまのご様子は、こうした医師団のスハイ説を裏付けるのに十分な根拠と言えるのではないでしょうか。
ただでさえ美智子さまは平成の時代に雅子さまをいじめ抜いたことで知られています上皇后となった今でも、関心の目を向けていることは容易に想像できますよね。
では2つ目の記事に移ります。 さて、いまから33年前、紀子さまは「3LDKのプリンセス」として国民から結婚祝福を受けました。 しかし最近では、 眞子さまの
結婚問題や悠仁さまの進学に関する騒動などがあり、 国民からの批判が続いています。さらに、「皇室を支持してきた」とされる人々からも厳しい声が
上がり始めていると報じられています。 内情に詳しい皇室ジャーナリストは、 次のように述べています。 「6月19日に、ジャーナリストの藤澤志穂子さんが
『学習院女子と皇室』という本を出版しました。 この本では、学習院という学校の歴史 を振り返りながら、 秋篠宮家に対する批判の声が学習院の卒業生や生徒たちの間で
拡散していることをまとめています。 学習院の卒業生は伝統的に「皇室を支える」という意識が強く、これまで秋篠宮家に批判的な意見を述べる人は
ほとんどいませんでした。 しかし、この本では多くの卒業生の声が記されており、 宮内庁の内部からも『ついに学習院からも…』といった声が聞かれているのです
学習院は明治時代初期に設立された学校法人で、元々は皇族や皇室を支える華族の 子女たちへの教育を目的としていました。 100年以上の歴史を持つ学習院の歩みは
実質的に皇室を支えてきた歴史そのものと言えるでしょう。 秋篠宮さまも幼稚園 から大学まで学習院に通われた卒業生であり、雅子さまも初等科から女子中等科
そして大学院まで学習院で学ばれました 二人の出会いも学習院のキャンパス内 であったことはよく知られています。 藤澤志穂子さんは紀子さまより1学年下の
卒業生として、これまで数々の卒業生を取材してきた経験を持ちます。眞子さんと 小室圭さんが婚約を発表した後、さまざまな問題が浮上し、 学習院の卒業生たち
からも秋篠宮ご一家への批判的な声が広まりました。 多くの国民が「筆頭宮家とし ての特権を享受しながら自由を追求する」という姿勢が、秋篠宮ご一家の態度から
感じられることが原因だと考えでいます。眞子さんは幼稚園から女子高等科まで学習院に通いましたが、学習院大学ではなく国際基督教大学に進学。