小林忍侍従はかく語りき2020年11月8日に“立皇嗣の礼”が執り行われました。すでに平成から令和への御代替わりとともに秋篠宮殿下は「皇嗣」となられているが、この儀式を通して皇位継承権一位(皇嗣)となったことを国内外に広く宣明することが目的でした。
つまり皇統が秋篠宮家に移ることを示すための儀式であり、男系による皇統維持を目指す政府や紀子さまにとっては「一世一代」の大仕事といえます。一部の秋篠宮家派だけが「皇嗣殿下、悠仁さま万歳!」とこれを大絶賛し続けているという状況が続いています。今回は侍従の日記から秋篠宮家の実情を考察していきたい。
宮内庁職員には様々な役職があるが、そのなかでも「侍従」と呼ばれる方々は、公私の垣根を超えて皇室のオクでお仕えするため、もっともその素顔を知る立場です。そのため彼ら侍従の残した「日記」は天皇研究の第一資料として貴重です。もっとも公務員には守秘義務があり(場合によって圧力がかかるため)、
これら「日記」が本人の存命中に刊行されることは殆どありません。それでも「開かれた皇室」「大衆化した皇室」を強力に推進した結果、平成の時代には、昭和天皇にお仕えした侍従たちの日記(もしくは回顧録)が相次いで出版されました。主だったものをリストにすると…
入江相政『入江相政日記』朝日新聞社、1990-1991卜部亮吾『昭和天皇最後の側近卜部亮吾侍従日記』朝日新聞社、2007河井彌八『昭和初期の天皇と宮中 侍従次長河井弥八日記』岩波書店、1993-1994
木下道雄『側近日誌――侍従次長が見た終戦直後の天皇』文藝春秋、1990徳川義寛『侍従長の遺言』朝日新聞社、1997中村賢二郎『吹上の季節――最後の侍従が見た昭和天皇』文藝春秋、1993小林忍『昭和天皇 最後の侍従日記』文藝春秋、2019などがあります。いずれも昭和~平成初期のころの皇室の実像を克明に描き出しており、とても読みごたえがあります。今回取り上げたいのは、❼小林忍侍従の日記です。
大内糺と小林忍侍従小林忍侍従(1923-2006)は、昭和後半から平成頭まで宮内庁職員として過ごした人物。昭和天皇晩年の侍従をつとめ、平成となってからは良子皇太后(香淳皇后)のお傍に仕えました。入江相政や卜部亮吾が侍従職幹部であったが、小林忍が中堅職であったことも重要です。なぜならその関心が、後世に日記が公開されることを予期した「壮大なテーマ」に向けられるのではなく、皇室の問題点や皇族方への不満などにも向けられているからです。
ここで一つ面白い事実を紹介したいです。『宝島30』1993年8月号に掲載された宮内庁職員・大内糺「皇室の危機――『菊のカーテン』の内側からの証言」という記事は、美智子さまを「贅沢三昧の女帝」と表現し、いわゆる「美智子さまバッシング」の急先鋒になりました。実はこの記事に、小林忍侍従が登場するのです。それは次の一節。
先帝陛下(昭和天皇)に長らく仕えてきたKという七十歳を目前にした元侍従が、勲三等に叙せられることになった。ところが、K元侍従は「結構です」と辞退してしまったのである。担当者はあわてふためいて翻意を促した。しかし、K元侍従の決意は固かった。K元侍従が親しい友人に語ったところによると、勲章辞退の理由は今の天皇陛下から項戴したくない、ということに尽きた。「昭和天皇陛下からだったら、有難く項戴させていただいたのに……」とK元侍従はつぶやいたという。このK元侍従とはまさに小林忍のことです。日記には次のようにあります。
平成5年6月24日(火曜日)皇太后宮職の引間庶務係長から4月半頃、旭三の叙勲となるが受けますかとのことだったので、まだ非常勤ながら出勤しているから辞退する旨答えた。卜部氏から同様の電話があったので、真意は、長い間お仕えしお世話になった昭和陛下からなら喜んでお受けするが、殆どお仕えしていない現陛下からは受ける気にならない、と伝えた。
恐るべき一致です。もちろん、卜部亮吾は上司であるから「親しい友人」と同一人物であるかまでは断言できないものの、大内糺は小林忍元侍従の近辺から内部事情を知り得た人物であることに間違いありません。
皇室作家の工藤美代子は「この人物(大内糺)はどうやら侍従など内側の詳細を知っている者ではなさそうだ」と述べているが(『美智子皇后の真実』幻冬舎)、実際にはそうではなく「侍従など内側の詳細を知っている人物」である可能性が高いのです。(元侍従が受勲を辞退したという話題は『サンデー毎日』1993年6月27日号が初出のようであるが、「K元侍従」とイニシャル限定されたのは大内糺が初です)
事実、別の記事で詳説する予定であるが、小林侍従は平成の天皇陛下、および美智子さまに対し何度も苦言を呈しています。小林侍従のみた今上陛下と秋篠宮殿下の違いこのように平成終わりに刊行された小林侍従の日記が、平成初めに起きた「美智子さまバッシング」が正しかったことを証明するとは、驚き以外の何物でもありません。小林侍従の日記には、平成皇室の実情が何度も取り上げられます。そしてそのほとんどは、平成の両陛下、ならびに秋篠宮ご夫妻に向けられた「諌言」なのです。