平成皇室報道の異様性
現在、多くの日本国民が今上陛下と雅子さまを尊敬し、天皇が国民のことを想い、国民が天皇を尊敬するという望ましい状態が実現していますが、こうした状態に辿り着くまでの道は平坦ではありませんでした。
多くの方がご存じのように、平成の時代には、激しい雅子さまバッシングがなされると同時に、マスコミは、こぞって美智子さまを慈愛の皇后として神格化する報道を繰り返していたのです。
現在でこそ、多くの国民が真実に目覚め、神格化された美智子さまのイメージは虚構でしかなかったことを知っているのですが、そうなったのも、ネットメディアが力をつけ、マスメディアによる情報管理の中央集権的な支配が打破された結果に他なりません。
また、このように、雅子さまが不当なバッシングを受け、貶められると同時に、美智子さまが神格化された時代というのは、両家の対立が深まっていた時代でもあります。
「人格否定発言」に至った経緯
2017年に配信された「朝日新聞DIGITAL」の記事では、かの有名な「人格否定発言」に至るまでに平成皇室が直面していたトラブルについて、次のように報じています。
愛子さまが天皇、皇后両陛下と会う機会をもっとつくっていただきたい――。宮内庁トップの羽毛田信吾長官(当時)が、皇太子さまにそんな趣旨の発言をしたのは、2008年2月の定例会見の席上だった。
発端は、天皇陛下の06年12月の誕生日会見。陛下は、幼稚園に入園した愛子さまが風邪をひくことが多く会う機会が少ないことを「残念なこと」とし、「いずれは会う機会も増えて、うち解けて話をするようになることを楽しみにしています」と述べた。
皇太子さまは翌07年2月の誕生日会見で「両陛下とお会いする機会を作っていきたい」と応えたが、その後も対面回数は増えず、羽毛田長官が「発言なされたからには実行を伴っていただきたい」と苦言ともとれる指摘をした。
親子でありながら、当人同士ではなく、宮内庁を通じてやりとりをする。「異様な事態だった」と宮内庁関係者は振り返る。
同様の事態は、04年5月の皇太子さまの「人格否定発言」にもみられた。雅子さまが前年末に帯状疱疹(たいじょうほうしん)で入院し、長期にわたる「適応障害」での療養に入っていた背景について、「雅子のキャリアやそのことに基づいた人格を否定するような動きがあったことも事実」などと発言した。
皇太子さまのご発言に陛下は戸惑いの心境を文書で表明。双方の事務方も見解を表明し合う事態となりました。
これに対し、陛下は「初めて聞く内容」「まだ十分に理解しきれぬところがある」などと戸惑う心境を文書で表明した。事務方である宮内庁長官や東宮大夫も互いの見解を会見で主張しあう状況が続いた。
雅子さまは皇后さまと同様、民間から皇室に入り、皇室の伝統やしきたりに溶け込むのに苦労したとされる。「皇位継承権のある男子を産まなくては」という重圧、皇室行事で「自分が必要とされていない」と感じる場面があって自信を失った――など様々な要因があったとされる。
ご拝読ありがとうございました。
天皇陛下の権限が絶対的ですから。皇后さまに対して嫌がらせをしたせいで来年の一般参賀の参加ができなくなるのなら、ざま~みろと言いたいですね。ミテコの夫はミテコが愛子さまの誕生日の日の時の説教や祝賀パーティーのキャンセルに対してミテコに言わなかったのでしょうか?孫に対して酷い事をしているとは思わないのでしょうか?もしかしたら現在は認知が入っているのかしれませんが、平成時代の時も雅子さまや愛子さまをなぜフォローをしなかったのか?ミテコのやる事は小室母と変わらない極◯ですね。ミテコの息子の鯰も母親や嫁に対してきちんと注意をしないのか?ホント非情です。
本日も最後まで動画を見ていただきありがとうございました。また皆さんに感じたこと意見などをコメントしていっていただけたら嬉しいです。もしよろしければ評価などもお願いします。では次回の動画でまたお会いしましょう。ありがとうございました。