秋篠宮殿下、眞子さんの質問を回答拒否本日30日、秋篠宮殿下は57歳の誕生日を迎えられました。宮内庁は、これに先立って、東京・元赤坂の赤坂東邸で行われた記者会見の様子を発表しました。今回、特に注目されたのは、昨年10月に結婚し、NYへ移住した秋篠宮家の長女・眞子さんと小室圭さんの動向ですが、そのことに関する質問は回答を拒否されたようです。お子さま方についてお聞きします。佳子さまは多くの公務に臨まれていますが、皇族として期待することや助言していること、
ご結婚について話し合われていることがあればお聞かせください。内親王が結婚後も皇室に残る選択肢を持つことも議論されていますが、佳子さまの意思を、どのように尊重されるお考えでしょうか。悠仁さまの高校生活や皇位継承者としての教育方針、結婚から1年が経過した小室眞子さんの近況についても併せてご紹介ください。
秋篠宮殿下の回答(中略)長女のことですけれども、これは本人が近況などについての自分のことについては話をするのは控えてほしいということを申しているようですので、私もここではお話を控えることにいたします
また、悠仁さまの学校生活や進学の問題に関しても、週刊誌等で散々話題となった、筑附へのズル入学の問題や、作文コンクールでの盗作問題等、重要な問題に関しては、一切触れられませんでした。
長男の学校生活ですか。この4月から高校生になって、恐らく今まで12年間、それまでの幼稚園から中学校まではある意味同じ学校と言いますかね、過ごしてきて、この4月から新たな所での生活になったわけですけれども、本人は授業や部活ですね、忙しくも充実した日々を送っているように見受けられます。
また、その次のことにつきましては、これも私は以前にお話ししたことがあったと思いますが、私自身の経験も少し含まれているわけですが、日本は本当に各地にさまざまな文化があります。そういうものを若いうちに実際にその場所を訪ねて、そこでそういうものにじかに触れるということは、将来的にも非常に大事なことなのではないかなと思っております。
それなので、折々に私もそういうことを本人には勧めております。また、それとともに書籍などを通じて、さまざまなことを、中でも日本の歴史などについては知っておいてほしいと思ってそういう話もすることがあります。秋篠宮ご夫妻の間で、悠仁さまの教育方針にすれ違いなぜ、週刊誌等でも話題となり、多くの国民から注目を集めている悠仁さまの進学の問題について、秋篠宮殿下は、一切言及されなかったのか?ある秋篠宮家関係者は、次のように事情を説明してくれました。
「どうやら、悠仁さまの進学先の問題に関しては、秋篠宮殿下と紀子さまで、大きく意見が食い違っているようなのですね。紀子さまは、ハーバード大学を卒業され、東大合格も果たされた才媛である雅子さまに強い対抗意識を持たれていることから、悠仁さまにも高偏差値の学校に入学することを期待され、
週刊誌等でも繰り返し報じられているように、東大合格を目標とされているようですが、一方で、秋篠宮殿下は、それほど高偏差値の学校に拘る必要はないと考えられているようで、コネなども利く、学習院や、その他、関係者の中に知り合いの多い大学に入学するのが良いのではないかと考えておられるようです。
今回の会見は、あくまで秋篠宮殿下の意見を述べる場であったということは確かなのですが、一方で、悠仁さまの進学先に関して、好き勝手に意見を言ってもらわれると困るという紀子さまのご意向もあり、進学先の問題に関しては、一切言及されないこととなりました」(秋篠宮家関係者)
この秋篠宮家関係者は、紀子さまは、今でも悠仁さまの進学先に関して、東大を第一候補として考えていると語っています。紀子さまも、悠仁さま東大合格を断念か?しかし、一方で、週刊誌「女性セブン」 (2022年12月8日号)は、「悠仁さま成績不振報道で紀子さま焦燥“東大断念”の新進学プラン」と題する記事にて、紀子さまが、悠仁さまの東大進学を断念されたと報じています。
大学受験のスタート時期の“早期化”は顕著で、進学校に通う多くの高校生は、1年生のうちから受験を据えた勉強に熱を入れている。「遅れを取った格好の悠仁さまの進学プランに頭を悩ませる紀子さまの脳裏に、「東大断念」が浮かび上がってもおかしくありません。 東大合格の道は険しいので、
“お子さま方の意志を尊重する”という秋篠宮家の教育方針にのっとった新しい進学プランが浮上してくるでしょう」(前出・別の宮内庁関係者)眞子さんは、学習院女子高等科から国際基督教大学((ICU) へと進学した。 次女・佳子さまも一度は学習院大学に入学されたものの、中途退学してICUに再入学された。
「上皇陛下の魚類研究や、 天皇陛下の本にまつわる研究など、おふたりともライフワークと言えるものをお持ちです。そういった、一生ものの研究対象と出会うべく、紀子さまは悠仁さまにも、“自分のや