国民から祝福されなかった“悠仁さま御誕生”「愛子さまが天皇のはずでは?」の声多く再び盛り上がる愛子さま待望論男系男子に固執する保守派の牙城、安倍晋三元総理が凶弾に斃れてから、自民党内でも俄かに愛子天皇容認論が高まっています。「多くの国民が女性・女系天皇の容認を望む中、安倍首相は男系皇統の維持に強いこだわりをみせ、それが皇位継承議論を先延ばしにする原因ともなっていました。
ですが、安倍元首相が亡くなり、保守派の清和政策研究会も後継者が決まらず空中分解寸前です。これを受け、自民党内では女性・女系天皇を容認する皇室典範改正の議論が一気に進展する可能性もあります。
とくに、秋篠宮家が眞子さんの一件で国民から総すかん状態であることが重要です。自民党内でも、秋篠宮家・川嶋家・小室家の皇室特権濫用は『幾ら皇位継承権のある宮家でもやり過ぎ」と疑問視されています」(全国紙社会部記者)
悠仁さまは皇統断絶の危機を救う救世主かなぜ秋篠宮家・川嶋家・小室家が皇室特権を濫用できるかという理由は、皇位継承者が二人もいるという一点に尽きます。皇室典範改正は、このような秋篠宮家の不正行為を糺すことにもつながります。そして、現在の皇位継承議論は、一言で言ってしまえば、次の世代の天皇を天皇ご一家の長女愛子さまとするのか、秋篠宮家の男子である悠仁さまとするのか、という問題に集約されます。
悠仁さまがお生まれになる以前には、天皇家にも秋篠宮家にも男子がおらず、天皇ご一家の長女である愛子さまが天皇陛下(当時は皇太子殿下)の次の天皇になると考えられており、実際、小泉政権時代には愛子さまの皇位継承が可能となるよう、女性・女系天皇を容認する皇室典範改正案が国会に提出されていました。
悠仁さまがお生まれになったのは、まさに多くの国民の間で「愛子さまが将来の天皇に」という期待が高まっていたタイミングです。
そのため、男系皇統の維持にこだわる一部の保守派からは、紀子さまの第三子ご懐妊の報は大変喜ばれ、「紀子さまの第三子が男子であった場合のために」として、女性・女系天皇を容認する皇室典範改正案は凍結されました。
また、メディアでは、紀子さまの第三子ご懐妊の報道に関して異様な盛り上がりを見せ、中には、第三子の性別が判明する前から「皇太子家不要論」を声高に唱える評論家まで現れました。
おまけに、こうした論者の一部は、「皇室に残ることは雅子さまにとっても不幸である」として、あたかも雅子さまを想いやるかのような調子で「皇太子家不要論」を唱えるという極めて不敬かつ偽善的な論を展開する者もいました。とはいえ、多くの国民は、こうしたマスコミのバッシングや世論誘導に惑わされることはなく、雅子さまや愛子さまへの敬意や愛情が失われなかったことも大切です。
「マスコミによる皇太子一家バッシングとは裏腹に、実は、悠仁さまがお生まれになった時点で、国民の中には愛子さまのファンもかなり多くおりました。
男系男子による皇位継承の維持にこだわる一部の保守派からは、悠仁さまは皇統断絶の危機から皇室を救う救世主のごとくに見られていましたが、一方で、多くの国民からは、愛子さまから皇位継承資格を奪う皇統の簒奪者のように見られていたようです」(前出の社会部記者)
現在、皇位継承議論の盛り上がりに関して「愛子さま派と、悠仁さま派で国民を二分するのか!?」などといった批判的な意見も述べる評論家もいるが、実は、こうした対立は、今に始まったことではなく、紀子さまの第三子ご懐妊が明らかになった時点から現在まで長きにわたって続いているのが現実なのです。
国民からさほど祝福を受けられなかった悠仁さまのご誕生
紀子さまの第三子ご懐妊が発覚した後には、マスコミ各社は大々的に報じ、国民的慶事であるかのように大変な盛り上がりを見せたが、一方で、国民の受け止め方や反応はそれとは違いました。決してマスコミの発表を真に受けてはいけません。悠仁さま誕生後には、テレビ各局がこぞって特番を組んだが、視聴率は思ったほど伸びませんでした。
テレビ各局は、歴史的な男児誕生の日の朝から、宮内庁や病院前での中継を行い、特別番組を編成するなど異例の態勢を取った。だが視聴率は、期待していた以上には、伸びなかったという。
「多くの国民が待ち望んだ40年9カ月ぶりの皇族男子の誕生は大変な祝福を受けるはず」そのような紀子さまの期待は見事に打ち砕かれ、TV局各社も、あまりに期待外れな特番の視聴率に対し、ほとんど肩透かしを食らったような気分になったようです。
どうやら、紀子さまも大手マスコミ各社も、雅子さまや愛子さまがどれほど多くの国民から愛されていたのかを理解できていなかったようです。もしくは、それを理解していたのに、隠したかったのかもしれません。
悠仁さま誕生まで、過去、五年にわたって愛子さまの成長を見守ってきた国民の中には、愛子さまのファンも、かなり多いとみたれている。平成一四年四月、愛子さまの誕生に伴う一連の行事が終了したのを受けて、雅子さまは出産後初めての記者会見に臨んだ。「本当に生まれてきてありがとう、という気持ちで一杯になりました」と涙ぐんだシーンは、多くの国民の心をとらえた。
そういったファンの人たちの中には、「これで愛子さまが天皇になれなくなる」といったとらえ方をする人も少なくなかった。視聴率が伸びなかった背景には、こうしたことも影響したのかもしれない。