久子さま、承子さまフセイン皇太子の結婚式にご参列今月6月2日、ヨルダンのフセイン皇太子とラジワ・アル・サイフの結婚式に、日本の皇室から天皇皇后両陛下の名代として高円宮妃久子さまと、長女の承子さまが参列されました。ヨルダンのフセイン皇太子とラジワ・アル・サイフの結婚式に、日本の皇室から天皇皇后両陛下の名代として高円宮妃久子さまと、長女の承子さまが参列した。
現地の日本新聞『Arab News Japan』によると、久子さまは結婚は「喜ばしいこと」であり、「お二人の今後のお幸せをお祈りします。ヨルダンの将来がお二人の肩にかかっています。今は少しロマンティックな日々を楽しまれる時ですね」とコメントを寄せた。
久子さまは結婚式に、花柄のブルーのドレスを着用。パールのチョーカーとブレスレットを合わせ、華やかなお呼ばれスタイルを完成させた。承子さまはティール色のドレスと髪飾りで、シックなワンカラーコーデで出席。そこに、愛らしいフクロウ型のクラッチバッグで、ユーモア溢れるワンポイントを添えた。
久子さまは日本と他国の文化交流を促進するさまざまな慈善活動に熱心に取り組まれている。先日はアンマンにある国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の新難民キャンプを訪問。「スタッフの献身に大いに感銘を受けた」と述べていた。
久子さまが初めてヨルダンを訪れたのは1996年、ヨルダンと日本の文化交流週間の時だ。当時、亡き夫の高円宮憲仁親王が重要な役割を果たしたイベントだった。
久子さまはその後、2005年にバディヤ・ビン・ハッサン王女の結婚式でヨルダンを再訪。「とても開かれていて自由で、多くの点で東京と似ている」とコメントしていた。
批判される秋篠宮家、称賛される高円宮家
秋篠宮ご夫妻の訪英とチャールズ新国王の戴冠式参列が大変多くの人々から批判されたこととは対照的に、久子さまと承子さまのヨルダン訪問と、フセイン皇太子の結婚式参列には、称賛の声が相次いでいます。
また、ニュースサイトのコメント欄では、お二方のご活躍を称賛する声の他に、同時期に、日本で民間のトイレ会社の便器を視察されていた秋篠宮ご夫妻を揶揄する意見も書き込まれているようです。
おふたりともその場の雰囲気にマッチした素敵なドレスでした。
お話されている時も和やかで自然体で…
この方々が行かれて良かったです。
元々の予定の方が行っていたらまた着物とか着てめだとうとしていたでしょうし
この結婚式に他の公務と被ってるから行けないと言った方々は民間企業であるtotoのトイレ博物館に行ってましたね
皇室外交と民間企業の視察どちらが重要かも判断できないのか、自分たちは立場が上だからと見下げ行かなかったのかは定かでは無いですが、どちらにしても失礼な話ですね
国王夫妻や王子夫婦とも和かにお話しされていて、これが皇室外交なのだと思います。難民キャンプも視察されていて、辛い立場の人々へのサポートがライフワークになっていらっしゃるのですね。
英語でご感想を述べられていましたが、非常に感動しました。
イギリスの戴冠式は一体何だったのだろう。今更ながら頭に浮かんでいるのは私だけ?
皇室外交のお手本を見せていただきました
日本人としてとても誇らしいです
ありがとうございました自分が強奪したからって、久子さまがやるわけないでしょう!残念ながらキーコさんと同じステージに立たれてませんから!!
>また、この紀子さまの主張に対し、高円宮家の関係者は、皆「紀子さまの仰られていることは意味不明だ。そもそも招待状は秋篠宮ご夫妻に宛てに送られてなどいない」ということで唖然としているそうです。
ほらー!思った通り。やはり招待状は天皇皇后両陛下宛に来てたんですね!
交流のある天皇皇后両陛下にダメ元で招待状をお出しになったんでしょう。実際、オランダは国王と王妃が出席されています。
英国戴冠式で「日本は招待状に招待したい人の名前を書いてもお呼びでないヤツがノコノコとやってくるから、ちゃんと天皇皇后両陛下が無理な場合は代理出席でも構わないが、A宮家だけはNG!と書こう!!」と各王室で申し送りしていたのかも知れませんね。
この結婚式が欧州の王室なら、また強奪してでも出席してたと思いますが「ヨルダンかー、よく知らないしー」と“下”に見ていたのでしょう。
久子さまが出席されて正解でした!!
A宮が出席するとまたやらかしそうですもんね。
宮内庁としてはこれ以上の失態を防がないといけません。何とか行く気にならないように、えれこれ説得したのでしょう。
「この前、英国に行かれたばかりですし、また海外ですと国内の公務を疎かにしている!と国民から批判が出ます。国内で殿下と妃殿下をお待ちの団体がたくさんいますよ!」
こちらのコメントにも書かれているように、秋篠宮ご夫妻は、福岡県を訪問、住宅設備メーカーTOTOミュージアムを視察。秋篠宮さまはトイレの製造過程について質問し、さらには、「私たちの不祥事なども是非、このように水に流して頂きたい」などと仰られたとか、仰られなかったとか。