不思議な雅子さま報道いよいよ12月9日は雅子さま59歳のお誕生日です。収束しつつあるとはいえコロナ禍で先行きが見通せない今だからこそ、雅子さまの笑顔、力強い生き様は国民に勇気を与えてくれます。思えば令和になり週刊誌の構図は全く逆転しました。平成時代、美智子さまと紀子さまは「慈母」として大絶賛されていたことは記憶に新しいです。一方で雅子さまは何をしても週刊誌からバッシングの対象になっていました。
今回は、その典型例を紹介したいと思います。すなわち雅子さまと実家との関係についてです。皇族としても人間である以上は、嫁いだ後も連絡を取り合ったり、時に食事をしたりすることは当然であり得ることです。ですが雅子さまがご実家(小和田家)と連絡を取り合うと、どうしてか「小和田家に皇室が乗っ取られる」とばかりに非難されました。一方、紀子さまがご実家と連絡を取り合っても、なぜか称賛されるという不思議です。美智子さまに至っては、実際には実家と懇意にしていたにもかかわらず、なぜか今ではご実家とのお付き合いがなかったことに歴史修正されているという驚きです。
今回はこのダブルスタンダードならぬトリプルスタンダードを紹介したいと思います。ご実家と連絡を取り合うだけでバッシングされる雅子さままずは、雅子さまの事例を紹介します。保坂正康(ノンフィクション作家)、御厨貴(東京大学教授)、高橋紘(静岡福祉大学教授)、斎藤環(精神科医)、原武史(明治学院大学教授)、松崎俊彌(「週刊女性」記者、皇室ジャーナリスト)という6人が集まって「引き裂かれる平成皇室」というテーマの下、雅子さまを叩きまくる「座談会」が、『文藝春秋』2008年4月号に掲載されています。
2008年といえば、雅子さまバッシングの最盛期でした。『週刊代』2008年3月22日号には「小和田家は、「皇室の仕事ができないなら、娘を引き取ります』と言うべきでしょう。皇后になったらそれこそ過密なご公務が待っている。勤めが果たせないのなら引き取るのが筋です」という宮内庁関係者の声が紹介されています。また『WiLL』2008年5月号から9月号にわたって保守論客の重鎮・西尾幹二さんが「皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます」というタイトルの下、皇太子ご夫妻(当時)に「傲慢の罪を犯しておられる」と言い放っていました。びっくりしますよね。
今回紹介したい『文藝春秋』2008年4月号の座談会でも、まさにこの流れが引き継がれています。松崎俊彌(「週刊女性」記者、皇室ジャーナリスト) そこに昨年暮れからの雅子妃の私的外出の報道が重なります。昨年十二月二十八日に、宮中でお餅つきがあったのに、そちらには出席しなかった皇太子と雅子妃が、
その晩、ミシュラン東京版で三つ星を獲ったフランス料理店「ロオジエ」で夜中まで食事をした、とか、元日の祝賀行事のほとんどを欠席した雅子妃が、小和田家と東宮御所でおせち料理を囲んだ、といった記事が週刊誌などで毎週のように報じられました。両陛下とのお祝い御膳が一月二日でしたから、それよりも小和田家を優先するのか、と非難する声も上がっていますね。
高橋紘(静岡福祉大学教授) 他家に嫁いでもなお、妻の実家がしょっちゅうかかわってくる、というのは、美智子妃のときには見られなかったことです。…(中略)…東宮家と天皇家との距離が広がるのと反比例するように、小和田家との距離が近くなっているのも気になります。美智子さまのご実家については後ほど取り上げるが、ご実家と直通電話をつながれ、それを諫めた侍従が左遷されるという事件が起きています。また秋篠宮家派で有名な岩井克己記者は次のように言い放っています。
岩井克己(朝日新聞編集委員、皇室ジャーナリスト) 天皇陛下の発言を聞くにつけ、愛子さまのことで気になるのは、雅子妃のご実家の小和田家との距離が近いことです。小和田さん夫妻はオランダ在住ですが、帰国時は東宮御所に来られますし、妹さんやそのお子さんは、愛子さまの遊び仲間でもあり、ディズニーランドにも一緒に行かれた。昨年のオランダ静養の折にも、女王のお城に小和田家が合流したり、皇太子ご夫妻がハーグの小和田邸を訪れたりしています。
両陛下はこうしたことを聞いて、同じ東京で車で十分ほどの距離にいる自分たちに、愛子さまが打ち解けない状況を、淋しく思われるのではないか。雅子妃の小和田家との距離は、これまでの美智子皇后と正田家、あるいは香淳皇后と久邇宮家にくらべても、かなり近い。
岩井記者は「実家との距離が近いのは雅子さまだけで、美智子さまも香淳皇后(昭和天皇后)も実家と距離を置いていた!」と言いたいようですが、これは間違いです。事実、すぐに修正されています。
福田和也(慶応大学教授) 香淳皇后の父、久邇宮邦彦王は東宮御所に頻繁に来すぎるとか、久邇宮家の別荘を建てるのに皇室に費用を求めたとかで、貞明皇后の怒りを買っている。昭和天皇の即位後すぐに、邦彦王が亡くなったので、問題にならなかっただけでしょう。
岩井克己 そういう面は確かにありますね。岩井記者は、知っていてあえて雅子さまを叩いたのでしょうか? それとも知ったかぶりをして雅子さまを叩いたのでしょうか? いずれにせよ雅子さまだけ叩かれるという構図を十分に感じ取ることができます。